箱根湯本周辺 観光案内・お得な情報を御案内します!
江戸時代に、五街道の一つ東海道に沿った温泉として箱根温泉は繁栄しました。
箱根七湯の一つとして数えられていた箱根湯本温泉は、箱根で一番大きい温泉街でもあります。
このモデルコースは、箱根湯本周辺の大地の生い立ちの謎を探りながら、この地の歴史と温泉について知ることができるコースです。
営業時間 | 8:00~16:00 |
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備考 | 入場料なし |
早雲寺と同じく臨済宗の禅寺。
鎌倉時代に箱根の旅路の安全を祈った地蔵信仰から創建。
歌舞伎の仇討ち物で知られる曽我兄弟が、このお堂で祈願をこめてあだ討ちに成功したといわれ、曽我十郎の恋人虎御前が建てた言われる曽我堂があります。
平成2年に見つかった「信濃邸土台火砕流」
1万8000年前の噴火で蒸し焼きにされた樹木が含まれている。歴史の正しい解明につながったといわれている貴重な堆積物。
「箱根の山は天下の険」と謳われた箱根旧街道石畳を体験。
家康は、江戸を中心に五街道を整備し防衛の関所を各所に設けました。特に箱根は、東海道きっての難所である箱根山中に設け、重要視。箱根を行く山道には当初「ハコネダケ」が敷かれて利用されていましたが、後に付近から産出される石を利用し、石畳の道に付け替えられたようです。湯本地区に残る255mの猿沢の石畳です。
箱根奥湯本の天成園の敷地内にある、高さ約8m・幅約11m の滝。箱根火山の基盤をつくる須雲川安山岩類の上に、箱根火山の外輪山溶岩が重なっている。
この2つの層の間の礫層から流れ出た伏流水が滝となっている。流れ落ちる清水が「たますだれ」のように細かく美しいことから、この名で呼ばれるようになった。
かつて箱根七湯と呼ばれた箱根温泉は、現在では箱根二十湯と呼ばれるまで温泉場の数が増えている。
箱根の温泉は、泉質が豊富で「温泉のデパート」とも呼ばれているが、大きく酸性硫酸塩泉、重炭酸塩硫酸塩泉、塩化物泉、塩化物重炭酸塩硫酸塩泉の4つに分類できる。箱根湯本温泉はアルカリ性単純泉です。
箱根湯本の温泉街の地質は主に早川凝灰角礫岩と呼ばれる今から400万年ほど前に堆積した海底火山の噴出物からなる。
この地層には軽石が大量に含まれ全般的に白く、柔らかく、白石地蔵は早川凝灰角礫岩を彫って作られた磨崖仏である。近くには昔、石切り場があり採取された岩石は福住旅館の外壁に用いられている。
湯本温泉の開発にあたり、鎮守として勧請されたと言われています。箱根七湯発祥の源泉(箱根最古で現役の自然湧出源泉「惣湯(そうゆ)」)が社殿の下にあります。これは、奈良時代、釈浄定坊により発見されたと伝わる古湯です。
箱根湯本温泉の発祥の地は「湯本温泉発祥の湯和泉」にある横穴式源泉跡。地層の割れ目から湧出する温泉。手作業で横穴を掘りました。
昔は、亀裂を通して湧き出てくる温泉を横穴入口に造った浴槽に集めて入浴したそうです。
白石地蔵は早川凝灰角礫岩を彫って作られた磨崖仏である。近くには昔、石切り場がありそこから採取された岩石は福住旅館の外壁に用いられている。中世の箱根山は、険しい山々と各所に見える噴煙から地獄と見なされ、地蔵信仰の広がりと共に各所に地蔵菩薩が祀られた。
露頭右上部の大きな円礫が中央火口丘(後期中央火口丘)起源の土石流堆積物(早川泥流堆積物)です.その下が早川凝灰角礫岩(約400~500万年前)です.早川凝灰角礫岩は箱根火山の土台をなす地層です。
歴史・自然と関係の深い箱根湯本。様々な偶然が重なり、今の「箱根湯本」になりました。
深い歴史に思いを馳せながら、箱根湯本での滞在をお楽しみください。